HOME | 問合せ


>> 新掲示板 | よくある質問 | メンバー紹介 | 過去の会報



>> クロカン記録 | 他の記録 | 昔話 | 名言集 | 記念写真

過去のニュース
>>2001年9月-12月 >>2002年1月-6月 >>2002年7月-12月 >>2003年1月-6月>>2003年7月-11月
東京国際女子マラソン  下村京子   11月16日  2003
都鳥四谷の坂の群れとなり    京子

  美奈子さん 3時間17分16秒 堂々の156位 お見事!!
        39キロ地点での四谷坂は笑顔で前へ・前へ。
        前日の練習会では私達と一緒の走りで、いいのかな〜?。
        でもあれは余裕だったのですね!
  横田会長  颯爽と走る抜け、満面の笑みを返す余裕が、
        そこに威厳が感じられました。
        さぞ、上野?でのお酒は格別美味しかったのではないでしょうか。
  沢田さん  大門ではあまりの速さで走りぬけ、夫は連呼のチャンスを
        逸したそうです。四谷ではニッポンランナーズのあつ〜い
        「沢田コール」が延々と響いていたのですが・・・・。いつ?
  谷田川さん お疲れだったでしょう?ひときわ目立ち、やはり四谷では
        やはりあつ〜い声援の面々がしきりと心配していました。
国体の報告 濱田廣行   11月6日〜11日 2003
6日から11日までの6日間、静岡で開催された障害者の国体に参加してきました。11月8日、皇太子殿下・妃殿下のご臨席のもと開会式が行われました。私は千葉県選手団の一人として、一緒に開会式に臨みました。会場はエコパスタジアムという大きな陸上競技場でした。入場行進が始まって会場の中に入ると、オーケストラの演奏・コーラス・そして大歓声と拍手の渦に感激しながら、トラックを半周ほどしてフィールドの中に入りました。こんなすごいところに自分がいることが信じられない気がしました。まるでオリンピックや世界選手権みたいな感じです。違うのは参加選手が視覚・聴覚・肢体・知的・その他それぞれに違う障害を持った選手ということです。開会式が終わり午後から競技が始まりました。競技は陸上だけではなく、水泳・車椅子バスケット・アーチェリー・フライングディスク(フリスビー)・野球・卓球・バレーボール・その他いろんな競技がありました。大会1日目、2日目が過ぎ、3日目が私の出場する200Mと5000Mです。私は200Mで千葉県の選手に選ばれたので、5000Mよりは200Mに集中していました。運のいいことに200Mが先で、5000Mは2時間半後に行われました。静岡に来てからずっと天気が良くて暑いくらいだったのに、この日は朝から冷たい雨で、12〜3度と一気に10度ほど下がってしまいました。短距離を走るにはちょっと寒すぎる気候でした。ウォーミングアップを終え、召集所に行き、ベンチに座りましたが私は体が冷えないよう数分おきにニッポンランナーズで習ったツイストを繰り返しました。そしていよいよ200Mのスタートです。全員が伴走者付きなので、1組2レーンずつを使い4組4人の盲人ランナーが走ります。私は8レーンでした。緊張はしているけれど、私はとても落ち着いた気持ちでピストルを待ちました。ピストルが鳴り、一斉にスタート。私と伴走者との足はピッタリと揃ってスタートがきれた。コーナーを回って直線に。私は一瞬たじろいだ。私の左側の人が1歩くらい前に出ている。私は横にいる人は全く見えない。でもはっきりと足音でリードされているのがわかる。負けてはならない。私は勝ちに来たんだ。200では絶対に勝つんだ。激しく自分に言い聞かせ、ストライドを伸ばした。「あと10M。」伴走者が私に告げた。いつのまにか左側のランナーの足音が後ろに下がったのがわかった。そしてゴール。私はたぶん勝ったとは思ったが、見えないので自信が無い。伴走者に「どうだった?」と聞くと「1位。タイムが32秒19。濱田さん、千葉県の記録を更新しましたね。」と言いました。ヤッター!本当に優勝できたのだ。とても嬉しい。私は緊張の糸がほぐれて顔の表情もやわらかくなったような気がしました。
200Mの表彰式が終わると、今度は5000Mのレースです。200Mと5000M。極端に距離が違うと思うでしょうが、他に出場できる種目がないので、この2種目にエントリーしたのです。競技は1部(39才まで)と2部(40才以上)に分かれていて、2部の種目は60M音源走・200M・5000Mの3種目だけです。本当は1500Mくらいを走りたいのですが、私は若くないので仕方ありません。5000Mは走りこみ練習が全然できていなかったので、全く自信ありませんでした。伴走者にも「200は狙うけど、5000はダメです。」と大会前から話していました。すでに200Mを全力で走っているので、ほんの少しだけアップをして、召集そしていよいよ2つ目のレースです。5000のレースは人数が多いので、スタート位置を4レーンまでの内側と、5レーン以上の外側の2つに分けて行われます。障害区分は視覚障害と聴覚障害の2つですが、視覚障害者は見え方によって、さらに3つに分けられています。わかりやすい言葉で表現すると、重度・中度・軽度の3つです。私は目の中心部分にほんのわずかに見える部分が残っているので、中度の障害区分に入ります。ピストルの合図で皆いっせいにスタートです。サッーと速い人たちが前に出ます。私は自分のペースで走るしかありません。1000Mの通過が4分10秒。このままイーブンで走れればいいのだが・・・と思いながら、次の1000Mのラップは4分20数秒。早くもペースダウンで、体は全然動かない。すでに聴覚障害の速いランナーには次々に抜かされ周回遅れになる。3000・4000とさらにペースは落ちて、視覚障害のランナーにも抜かれていく。ゴール付近を通過するたびに、役員が残り何周と大きな声で教えてくれる。まだそんなにあるのか、完走できるだろうかと弱気な気持ちになってくる。息は上がるが、足は上がらない。なんとももどかしい。ようやくあと1周になり、よし最後だがんばろうと自分に言い聞かせる。そして最後の直線。私は残っている力を全て出し切るようにストライドを広げ、キックして走った。ゴールタイムは22分38秒。2位という成績だった。タイムには悔いが残るが、現状の力では精一杯の走りだった。
よく練習はウソをつかないと言いますが、今回の私の場合は練習不足はウソをつかないという言葉がピッタリのような気がしました。1日に2つのレースを走り、疲れたというよりほっとした気持ちでした。
そして、夕方からはバスケットボールを行った室内アリーナで、閉会式が行われました。ずっと雨が降って寒かったので、室内での閉会式はとてもありがたかったです。挨拶や国旗降納・3日間燃え続けた炬火の火が消え、クライマックスでは、真っ暗にした室内で各自に配られたペンライトを点灯して、右に左に揺らしました。全てが終了して、各県順番に退場です。出口までの通路には、ボランティアの方たちがずっと拍手をしながら私たちを送り出してくれました。私は笑顔で「どうもありがとう。」と答えながら、心の中では(8年前にも国体に参加したけれど、年齢的にたぶんこれが私の最後の国体になるだろうな)と、なにかとても感傷的な気持ちにもなっていました。
たくさんのボランティアの方に支えられて、私は今回障害者の国体という大きな舞台に立つことができました。伴走をしていただいた皆さん、いつも暖かい目で見守っていただいている皆さんに感謝の気持ちを伝えたいです。ありがとうございました。
ポップラン打ち上げ 投稿者:リンイチ  投稿日:11月 4日(火)
ポップランの打ち上打ち上げを横田さんのご好意でサンバレーの日本語教室にて行いました。入賞優勝数知れずで、大変に盛り上がりましたが、なんと言っても、目玉は、「伊沢さん布村さんの婚約発表」でした!あらためて、おめでとうございまーす!また、谷田川さんの激励や、ナリランシニアクラブ発足発表、また後で詳細はご報告いたしますが、いつものコースの清掃ランを12月6日に行うことの決定など、本当に盛りだくさんで、楽しいひと時を過ごさせていただきました。実は自分自身は前日37.8度の熱と歯痛で直前まで出場するかどうか迷っていたのですが、なにはともわれ完走できて大満足の一日でした。
手賀沼エコマラソン  森脇祐二  10月26日(日) 2003
手賀沼エコマラソン参加の皆様ご苦労様でした。
最高の天気に恵まれゴール後のビールを大変美味しく飲むことができました。
私のゴールタイムは1時間38分台です。ハーフの目標はキロ4分30秒を目指しているので、スタートラインまでのロスタイム約2分を引いてもちょっと目標には届いていないようです。成田POPランで再チャレンジです。また美味しいビールが飲める天気になることを願っています。
ランフォービジョン 投稿者:ハマちゃん  投稿日:10月20日(月)
ランフォービジョン参加されたみなさん、お疲れ様でした。2〜3日前の天気予報では傘マークがついていたけれど、当日はすばらしい秋晴れの天気になりました。私は埼玉の植松さんという方に伴走してもらいました。走りながらコースの説明もしてくれて、気象庁がどの辺りにあるのかわかりました。皇居は視覚障害者にとって走りやすくはありませんが、東京を走れるというのはとてもいいものですね。
私はこのところ練習不足だったので、最初から押さえ気味で走りました。そしたらなんと前半5キロと後半の5キロがぴったり同じペースでした。タイム的には良くなかったのですが、メンバーに恵まれて優勝できました。走り終わった後はゲストランナーとして参加していたエスビーの瀬古監督とちょっと話して、握手もしてもらいました。♪ 瀬古さんの手はがっしりとしていました。
アフターランも成田で盛り上がりました。私も久しぶりにランナーズハイのメンバーと飲んでとても楽しかったです。
ランフォービジョン 投稿者:美奈子  投稿日:10月20日(月)
昨日、大会の方々お疲れ様でした。皇居は 少し走りずらいのですが 片野さんや知らない男性ランナーがペースメーカーに成ってくれて 助かりました。
片野さんと一緒にゲストランナーのあの!瀬古さん!を抜いた時は (え?抜いちゃっていいのかな?良いよね)  「瀬古さん!抜かせていただきま〜す!」
瀬古さんは 素敵でしたよ。親父ギャグも連発して とても親しみ易い方でした。ランナーズハイのメンバーは皆ミーハーになってしまいました。

優勝は濱ちゃん、美奈子。POPランも頑張ろう!
幕張トライアスロンボランティア 投稿者:リンイチ  投稿日:10月14日(火)
13日の体育の日にマエダさんに率いられ、幕張トライアスロン大会のボランティアに行ってまいりました。3時45分起床。この時点でもう半分くじけてましたが、換わり行く空と流れ行く雲を眺めるには絶好の一日でした。特に男子W杯選手のムキムキ・パワフルバイク&ランは一見の価値ありでした(はっきり行ってちょっと怖かったけど)。ただ天候の性か、思ったほど観客がいなかったのはちょっと残念でした(誘導は楽でよかったですが)。はっきり行って表彰式なんか、クロカンとあまりかわらないのではと思うほど観客が余りいませんでした(景品パワーか?)。マラソンと比べると、選手はトライアスロンのほうが派手ですが、盛り上がりはマラソン大会のほうが上だと思いました(単に天気のせいも知れません)。
秋田に行って来ました 投稿者:森脇祐二  投稿日: 9月30日(火)
秋田100キロチャレンジマラソンへ行ってきました。
これまでウルトラはサロマにしか出たことがなかったのでアップダウンのある秋田でどういう走りができるのか期待と不安を胸に参加してきました。
今年は途中リタイアとは言え富士登山競争に参加したし、北海道マラソンも自己ベストだったし、アップダウンがあるとは言っても10時間台でのゴールができるのではないかと密かに心の中では思っていたのですが、結果はとても苦しい思いをしての11時間49分くらいのゴールタイムでした。
波崎トライアスロン 投稿者:美奈子  9月17日(日) 2003
14日に波崎へ 行ってまいりました。今回もリレーの部。スイムとバイクは べつの人が やってくれます。トライアスロンの気分を チョコット味わえて、でも走りは10キロだけで良いから得した気分です(参加料は高いけど・・)

そして女子の部、優勝!これで3連覇です。でもね、女子は参加が少なくて2チームでした。
残った3位の賞品どうするんだろう?
北海道マラソン 谷田川充久 8月31日 2003
北海道マラソン走ってきました。 20km以上の走り込みをやらなかったので後半足にくると思ったらやはり35kmからさっぱりでした。 35kmまでは去年とほぼ同じペース配分、これはサブスリーいけるかな?と思いましたが、35kmから`5分以上かかりました。 やはりフルは30km以降が本当の勝負の距離ですね!

北海道マラソンは2回目ですが、札幌の中心を走るので応援の人垣ができるほどすごい応援です。今回は長谷川理恵効果もあってか去年以上の応援がありました。1回目の折り返しで会いましたが、かなり苦しい表情で、これは3時間15分以内危ないと思いました。
2回目の折り返しで会うことなく、これは棄権したな思いました。 後で知りましたが、
熱中症で20km付近で倒れたそうです。 前日、当日朝の予報だと曇り最高気温24°でしたが、最高気温28°太陽も雲の切れ間から頻繁に顔を出しており、直射日光が当たるとそれ以上に感じました。 長谷川さんはなぜか帽子を被っていなかったのが気になりましたが、今までの疲れがたまり体調がベストではなかったのでしょう。
今は長谷川理恵さん自身が一番辛いことでしょう。

私も長谷川理恵さん同様にこの経験をどう生かすかにかかっております。
次回のフルでは気持ちの持続を続けなんとか自己ベストが出せるよう頑張ります。
他に、沢田さん、伊沢さん、布村さんが参加しました。
庭田清美選手 トライアスロン、その魅力を語る  8月12日(火) 2003年
2000 シドニーオリンピック、日本代表で活躍し、日本人選手では最高位でフィニッシュした庭田清美選手が、自身のトライアスロン人生を、楽しく、そして感動を交えて語った。中台体育館の会場には地元中学陸上部の生徒や、日ごろ体を動かすのが大好きという市民が大勢集まった。
庭田選手は中学生に向け、「『夢』は、たとえ今持っていなくても気にしなくていい。目を見開いていれば必ず見つかる。努力を続けていれば」とアドバイスを送った。将来のオリンピック選手が育つ可能性を見たようだ。
小さい時からスーパーアスリートではなかった、でも水泳は好きで続けた。誘われて出場したトライアスロン大会で優勝したことをきっかけに人生が変わった。蒲郡での世界選手権で屈辱的な敗北を乗り越え、翌年(97)は同じ大会で表彰台に上った。本番に強い庭田選手はシドニーオリンピックの日本代表出場権を最後の選考レースで獲得し、本番では日本人選手で最高位という見事な戦いを展開した。
今、オーストラリアにいて、フィジカルにもメンタルにも強さを持つ選手の中で、アテネを見据えて練習に励んでいる。
講演のあとは、庭田選手には花束が送られ、アテネでの健闘を祈った。
私ごとながら、サインをもらい、今度応援する時は「きよみ〜ん」と呼んでいいと許可をいただいた。ぜひ、叫んでみたいものだ。(^山^やまだ)         写真はこちら
富士登山競走  7月25日(金) 2003年
富士登山競争結果報告
7/25完走率の非常に低い富士登山競争(富士吉田市役所〜富士山頂上)が行われ我がクラブより6名(高橋ミナコ、富沢、沢田、衝撃の青い稲妻君(谷田川)、森脇、横田)が出場し5名が時間内(4時間30分)に完走致しました。残念ながら森脇さんは8合目で制限時間に引っかかってしまい来年に闘志を燃やしています。

レースといえども最初の8k(?)位は走れるけどあとはひたすら早歩きの登山レースです。7合目を過ぎると高山病でめまいがしてきて足元がフラフラし手が黄色くなり岩場を両手でよじ登る感じでかなりきついですが非常におもしろいレースで良い経験をしました。

結果
衝撃の青い稲妻・・農耕馬 谷田川(4回目)3時間35分 農耕馬凄し!
横田(初)                3時間55分 馬糞を踏む!(臭い!)
高橋ミナコ(2回目)自己新記録      3時間55分○○秒 横田のすぐあと
                     (相変わらず凄い底力)
沢田(2回目)              4時間05分 感激!完走し故障も治る!富沢(3回目)              時間制限内(4時間30分)完走!感激!森脇(初)                8合目迄 来年再挑戦!

PS 青い稲妻より速く登頂した人がいました。その人は 楽走会 のミツギさんでした。凄い人です。おめでとうございます。楽走会の他のメンバーも頑張りましたが楽しみは来年に持ち越したようです。来年頑張れ!尚我々と一緒に行ったニッポンランナーズの色川さんと福崎さん(沢田さんの仲間)は5合目コースの部門に出場し優勝と3位を勝ち取りなが〜いトロフィーをもらってました。凄い人がいっぱいいました。
尚レース前に我がクラブメンバーの宮崎に転勤した遠野さんから激励の電話が入り感動いたしました。彼もエントリーしていましたが来ることができなかったようです。また会える日を待ってます。

最後にレース前の農耕馬(イヤ、失礼!)衝撃の青い稲妻谷田川氏のコメントを抜粋し彼の有言実行をたたえます。

2001年は溢れ出したら止まらないマグマのような『オレンジ色の闘志』(自己紹介の写真参照)2002年は夏にパワー全開の太陽のような『赤い情熱』今年は3時間30分切りを達成し横田会長を始め皆さんに衝撃を与えます! そして夏の富士山頂に毎夕、轟く稲妻!そうです!今年のテーマは『衝撃の青い稲妻』です! 必ず真昼の富士山頂で衝撃の青い稲妻となって轟きます!
衣装もすでに準備されています。 皆さんお楽しみに!
 
谷田さんに負けないようガンバロー。小生もこの頃疲れがとれるのが遅くなってきたなあ。でも心はいつも万年青年でいよう。・・・・横田のつぶやきでした。・・・・